現在・過去・未来

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朝、目が覚めて雨が降っていなければ自宅の近所を散歩することを日課にしています。連日のロシアの侵略によって崩壊したウクライナの建物の映像で気持ちが塞ぎ気味となる毎日ですが、足かけ三年におよぶ新型コロナウイルス感染症もようやく収束の気配が見られるようになったことを喜びながら、ひと気のない朝にマスクを外し、ゆっくりと坂道を登ります。道端に咲く濃い紫の露草や植込みの色とりどりの紫陽花に出会い、爽やかな朝の風がここしばらく忘れていた小さな感動を運んでくれます。

保育園や幼稚園・学校もようやく落ち着きを取り戻しつつあるようですが、楽しみにしていた遠足や運動会、人生で一度だけの修学旅行などのこども達にとってかけがえのない行事が次々と中止され、オンラインによる二次元のモニターを見つめて暮らした二年間、こども達が感じたこと、学んだこと、さびしい思いや言葉にできないやるせなさが、彼らのこころにどんな陰を落としているのかが気になります。あってはならない悲惨な戦争がこころに深い闇を作っていないかと心配になります。

こども時代の経験は人生の大きな財産です。喜びやかなしみ、つらい思いや感動は人生を左右するほど大きな影響をこどものこころに残します。こどもは人と人とのふれあいのなかで成長し、遊び、笑い、競い合って、豊かで健全な毎日を過ごさなければなりません。見守る大人がしなければならないことは何か。彼らに希望と勇気を与えるには何が出来るのか。朝日の昇る丘の道を歩きながら、そんなことを考えている今日この頃です。

(とある会報に送った原稿がボツになったので転載しました。)