大雪山旭岳に登る

深田久弥の山岳エッセイ「日本百名山」は北海道の孤島利尻島に聳(そび)える利尻山に始まり屋久島の宮之浦岳に終わる。

利尻山に子どもたちを連れて登ったのは今からちょうど30年前の夏だった(1992年8月17日)。この日は暑い日で持参の水を途中で飲み干してしまい、からからにのどが渇いてしまった子どもらを励ましながら下山したことをよく覚えている。それ以前にも夏休みには関東甲信越地方のたおやかな峰々に子どもを連れで登ってはいるが、なんとなく百名山を意識して山歩きをしだしたのはこの深田百名山一番目の利尻岳に登った以降のような気がする。

百番目の宮之浦岳に登ったのは昨年の梅雨時だった(2021年6月23日)。雨の多い屋久島なので登山が無理でも、あこがれの屋久杉の森を歩くことができればと離島に渡った。幸運にも予想外の晴天に恵まれ、登山口に近い無人小屋(淀川小屋)に前泊して宮之浦岳の頂上を踏むことができた。これで百名山の一番と百番に登ることが出来たので、実際には百の頂には登ってはいないけれど、なんとなく我が家の百名山登山は卒業のような気がしていた。

それでも、もし機会があれば登ってみたい山々がまだ数々と残っている。筆頭は大雪山旭岳だ。

北海道の屋根と呼ばれる大雪山にはこれまで何度か足を運んでいる。はじめて大雪山系に登ったのは大学に入学してすぐのワンダーフォーゲル部の夏合宿だった。もう50年以上も前になる。この時は五色ガ原とトムラウシ山を周遊し、旭岳には足を延ばさなかった。

二度目の大雪山登山では、ロープウェイに乗って黒岳に登り石室に泊まって、赤岳を経て銀泉台(ぎんせんだい)へ下った。2016年8月3日から翌日にかけてのことだった。そろそろ夏の花の終わりに近づいた時季だったが、それでもまだあちこちに雪渓が残り、たくさんの高山植物の花が咲く登山道を爽快に歩いた。

陥没によってできたとされる山上に広がる平らな御鉢平(おはちだいら)を挟んで黒岳と南北に対峙する旭岳が大雪山系の最高峰だ(2290m)。黒岳石室に泊まった時には雲に覆われて眺めることが出来なかった。できればこの雄大大雪山の最高峰に立ってみたいと思ったのはこの時だった。その後、何度か旭岳登頂に挑んだが悪天候で夢は実現しなかった。

岳温泉から眺めた旭岳の夕景

赤いオーロラのような大雪山の夕空

山の日とお盆休みを控えて、暑い関東を離れ、今年の夏も北海道に避暑に行くことにした。前半は旭岳の登山口の旭岳温泉に泊まり天候が許せば旭岳に登りたい。後半は妻の希望で知床半島ウトロの知床第一ホテルを予約した。この四月に遊覧船の事故があったばかりの知床半島では追悼と鎮魂を兼ねて知床五胡の周遊や知床峠から山並みを眺め、そのあと新ひだか町に住む孫にも会いに行きたい、と欲張った夏休み計画を建てた。

8月11日朝、羽田からの始発便に乗って新千歳に飛び、あとは車で道内を移動する計画だ。最初の宿泊地の旭岳温泉ではユースホステル白樺荘に三連泊した。二度目の宿泊だ。着いたこの日は快晴で絶好の登山日和だったようだ。夕方の宿舎の窓からは美しい夕景が見えた。夜半、雨になった。北日本各地は豪雨にみまわれ秋田や青森で大規模な水害が起きていた。北海道でも胆振日高地方は大雨だったようだ。二日目の朝になって雨は上がったが、山は厚い雲に覆われていた。山の天気は気まぐれで、おそらく登山は無理だろうけれどダメ元で、ロープウェイに乗って中腹の姿見駅まで行ってみることにした。案の定、ロープウェイを降りると視界は十メートルほど。足元の花だけ見られればよし、との意気込みで登山はあきらめて花の咲く裾合平(すそあいだいら)に向かって歩き出した。しかし、いくらも歩かないうちに雨足が強くなってしまった。視界が5メートル前後まで悪化してしまったので諦めて下山した。宿舎で作ってもらった昼食用のおにぎりは宿舎に戻ってから食べた。あとは露天風呂に入って持参のスコッチ・ウイスキーを飲んで過ごした。

三日目の朝は奇跡的に快晴になった。山の天気はまったく予測不能であることを実感する。二日連続して始発のロープウェイに乗り、今日こそはと頂上を目指すことにした。初めて見る姿見の池越しの旭岳の雄大な景色に感動した。念願の頂上に登れそうだと思った。頂上では大パノラマが堪能できるとガイドブックにあった。

旭岳は活火山だ。絶え間なく噴き上げる白い噴煙を眺めながら登山道を登る。けっこうな急登でバテそうになった。独特な形の金庫岩を過ぎた辺りからガスが上がり視界が途絶えた。

姿見の池と旭岳

ロープウェイ姿見駅を振り返る

爆裂火口の絶壁に沿って登る

登山道、上の方に金庫岩が見える

金庫岩

旭岳頂上

頂上には2時間で着いた。晴れていれば360度の眺望が得られるはずだが残念ながら何も見えなった。それでも念願の頂上を踏むことが出来て感激だ。

下山路は裏旭岳を正面に見ながらガレ場を下り熊ケ岳との鞍部にある裏旭キャンプ場をかすめて間宮岳から中岳温泉、裾合平を経てロープウェイ姿見駅に戻った。歩行時間7時間30分の山歩きだった。

旭岳からの下りの難所

熊ケ岳との鞍部にある裏旭キャンプ場

たおやかな間宮岳を過ぎるあたりからガスが切れて景色が見えるようになった。御鉢平の向こうには台形の形をした黒岳や以前に泊まった黒岳石室とキャンプ場が見えた。

記念写真を撮ってもらった間宮岳山頂

御鉢平

岳温泉

一面にチングルマが広がる裾合平

景色を眺めながらの周遊はなんとも気持ちのいい時間だった。もし可能であれば、一面に花が咲きそろう7月の中旬に裾合平をもう一度歩いてみたいと思った。

大雪山系は来るたびに新たな体験や感動を与えてくれる。年齢もあるので、安全に行けるところは限られているが、残雪の季節、花の季節、紅葉そして樹氷の冬、きっと四季折々にすばらしい体験ができる山だと思う。

長年の憧れの山にまたいつ立てるかはわからないけど、きっとまた幸運が巡ってくることを期待したい。四日目の朝、雨のなか、次の目的地である知床半島へと移動した。