宮崎駿アニメ「君たちはどう生きるか」

公開初日に時間ができたので宮崎駿監督の長編アニメーション「君たちはどう生きるか」を観に行った。

すでに82歳になった宮崎駿の、おそらく最後となるかもしれない長編アニメ作品だろう。長年のアニメ制作の同志であった高畑勲も亡くなってしまい、高齢となった宮崎自身もきっとこれまでとは違う思いで作品を作りあげたのではないか。今回の作品は公開まで予告編やあらすじ、主人公の姿形など、いっさい事前に公表されず、どのような物語なのかまったく分からないことがむしろ公開前の話題となる不思議な作品だ。

想像していた内容はやや大袈裟な表題や宮崎の現在の状況から、自伝的なあるいは製作者である監督自身の遺言的な作品ではないかと思っていたが、この想像はある意味であったていたし,またある意味では全く的外れだった。

物語の背景には彼の幼少時代が反映されていて、日常的な幼少期の体験からいきなりファンタジーの世界へと飛躍する。

全編に彼自身が愛してやまない不思議なファンタジー世界が描かれ、奇妙な生き物たちや突然深い奈落に突き落とされるような恐ろしい幼児体験、とって喰われてしまうような恐怖感を感じさせる場面展開へと進む。

描きたかったのはきっと彼がこれまで作ってきた多くの作品の原型となっているに違いないこども時代に出会った奇妙奇天烈な生き物達だろう。あるいは夢の中で出会った魔物たちなのかもしれない。

忘れることのできない幼少期の夢物語を、一度真っさらな原点に戻して、心ゆくまで描くことを楽しみたかったではないのだろうか。この点ではこの作品は彼が手がけたこれまでの作品とは根本的に違うように思える。観るものを楽しませるためではなく、彼自身が自由に妄想と空想を羽ばたかせて、自ら歩いてきた道のりを楽しむために物語を積み上げているように思える。

製作の原動力であり、60年以上も彼がアニメーションという手法によって描き続けたファンタジーの世界を静かな呼吸とともに吐露するようにこの作品は作り上げられているように感じた。

物語の骨格は、争いや死、誕生や命の不思議、意志と運命、出会いと別離、この世でもあの世でもない今自分の脚で立っている摩訶不思議な現実を、積極的に受け入れ、肯定も否定もせず、目に見える形として表している。宮崎駿自身が自らの足跡をこんな人生もありましたと言って、描いているように思える。その意味では自叙伝であり、遺言的な作品ではないかと思う。しかし、それだけでは終わらない。さまざまな思いを直裁に描かずに宮崎らしい物語に昇華させて披露する術(すべ)はいかにも宮崎駿らしい。

宮崎駿はきっと直裁な説明や作り込みではなく、ただ単に私はこうやって生き、生命の炎を燃やしてここまで命を長らえましたと呟きながら、温和なほほ笑みとともに、この作品を作ったに違いない。宮崎自身が楽しげに、それとなく語りかける無尽の御伽話は一見に値する作品だと思う。