身辺雑記_「ちむどんどん」と山の小説

花より団子のたとえあり

昨日は中秋の満月だった。ススキを花器に生け、団子と月餅を飾ったおかげだろうか、綺麗な満月が眺められた。

11号につづいて台風12号先島諸島に近づいている。例年のことなので沖縄の人たちには年中行事の台風襲来なのかもしれないが、日に何度となくNHKのニュースの初っぱなに台風情報が流れると関東地方に棲む身にとっては自分のことではないにしても心配になってしまう。暴風に木々がなぎ倒され、屋根が飛ばされる家々もあるのだろう。白い珊瑚の島、竹富島の民家のように低い屋根と石垣の塀は伝統に基づいた台風対策なのだろうと納得してしまう。屋根上に鎮座するシーサーがなんとなく明るく微笑んでいる姿なのはきっと毎年の決まりごとのように繰り返される自然の脅威に怯えることなく、根気強く笑顔で災難をやり過ごそうという意味があるのかもしれない。この台風が行き過ぎたら、また沖縄諸島に行ってみようかと思う。

団子に月餅が`つき`もの

少しでも沖縄県民の気持ちに寄り添いたいと、今日は朝からずっと沖縄民謡を聴いている。今年は沖縄返還50周年の記念すべき年だ。NHKの朝の連続ドラマでは、これを機に沖縄を舞台した「ちむどんどん」(胸がどきどきするという意味らしい)が放映されている。面白いことに、このドラマに関する書き込みが連日、インターネットを賑わせている。やれ時代考証がでたらめだとか、ストーリーが行き当たりばったりだとか、いろいろと悪口を書かれているが、たくさんの視聴者の心の琴線に触れる内容なのだろう。それだけ人気があるということに違いない。自分は観ていないが、家人がファンで連日時間になると欠かさず観ている。

有形文化遺産チンドン屋」さん

昨日、珍しいモノを見た。音が似ているが、「ちむどんどん」ではなく、チンドンヤさんだ。コロナ禍が長引き閉店してしまった近所の旅行代理店の跡に不動産屋が新規開業し、その宣伝の興行だった。先頭を歩くかつらを付けた若武者姿、太鼓と鐘を叩く町娘、ピエロ風の装束のサックス奏者の三人組が狭い路地を練り歩く姿が懐かしい。チンドン屋とは言い得て当を得た命名だと思う。昔はチンドン屋の賑やかな音楽が聞こえてくるとこども達が歓声を上げて家から飛び出し、そのあとに長い行列を作って練り歩いたものだった。今では子どもが減ってしまって、三人だけの行列が少しもの寂しい光景に感じられた。すでに有形文化遺産だ。いつまでも残して欲しい地域密着の仕事だと思う。

今日九月十一日は、三十九才の若さで急逝した友人の命日でもある。あれから二十五年がたった。残されたこども達も立派な社会人として暮らしていることが、故人へのなによりのはなむけだろう。

ニューヨークの貿易センタービルに旅客機が激突した「アメリカ合衆国同時多発テロ」が起きたのも2001年の今日だった。すでに二十一年も経っているが、鮮烈な映像が目の奥に焼き付いている。戦争とテロは止むことなく世界のどこかで繰り返されている。人間はおろかであり、過去から学ぶことが苦手な、反省しない生き物だということだろう。

パオロ・コニェッティの山を舞台にした小説二作

初めてイタリアの小説家の著作を読んだ。パオロ・コニェッティ作、関口英子訳、新潮社刊、「フォンターネ.山小屋の生活」と同「帰れない山」だ。2冊とも山の暮らしを題材にした小説で、ヨーロッパアルプスの麓に位置する北イタリアが舞台になっている。自伝的な要素のつよい物語で、美しい山々を背景に都会で育った孤独を愛する主人公と山小屋で出会った人々、父親と母親、そして幼なじみとその家族が紡ぐ物語で、和訳がとても読みやすく記憶に残る秀逸の作品だった。忘れないようにここに記しておく。