上高地は日本のアルプス基地

夢のようなスイス旅行の余韻が覚めぬなか、蒸し暑さに辟易して、上高地にキャンプに出かけた。

自宅を朝5時に出発、沢渡でタクシーに乗り換えて上高地小梨平キャンプ場に10時すぎに着いた。涼しい。上高地の気温は25℃だったが、蒸し暑さは感じない。夏休みも終わって、キャンプ場にはまばらにテントがあるだけの静かな光景が広がっていた。

さしずめ上高地はスイスのツェルマットだろうか。こちらの方がずっと上品な雰囲気だけれど。あるいはスイス国内の最高峰ドームの麓の町サースフェイだろうか。

北海道のヒグマ同様に、上高地にも連日ツキノワグマが出没し、注意を促す立看板があちこちにあって出没情報を伝えていた。キャンプ場の受付では食べ物は必ず食糧庫に収納するように注意された。

小梨平に広がるカラマツ林にはフリーサイトのテント場が広がり、利用料はひとり1300円だった。キャンプ場はとっても綺麗。ごみひとつ落ちておらず、トイレも綺麗に掃除してあった。八月の喧騒の最盛期が過ぎて利用者が減ったので一部の炊事場は使用不可になっていたが、炊事棟はまったくがら空き状態。薪を炊いたあとも綺麗に片づけられていた。

カラマツの下でのキャンプは快適だった。ベンチとテーブルのある場所にテントを張って、食料を収納庫に収めて、散歩に出かけた。

上高地には北アルプスへの登山の途中や日帰りで何度も訪れているが、ゆっくり散策したことがない。すがすがしい風に吹かれて歩く。

天気は快晴。河童橋や散策路からは穂高連峰の全容がきれいに見えた。こんなに綺麗に見えたのは初めてだ。そろりそろりと梓川沿いの白砂の道を歩き、尖って天を刺す明神岳を仰ぎ見ながらところどころで休憩をとりながら、明神で橋を渡り、穂高神社奥社をお参りして神社の受付前の休憩所で持参のパンとジャムを食べて昼食。

食後は梓川対岸の自然探勝路を歩き、以前に登った岳沢への分岐やウエストン卿のレリーフで記念写真を撮影し、西穂高岳への登山口をへてテントサイトに戻った。

テントサイトでははやばやとウイスキーを飲んで午後を過ごした。明るく涼しい午後のリラックスタイムはこれ以上ない贅沢なひとときだった。

スイスで眺めた険しいヨーロッパアルプスの山々に比べると日本の岩峰の代表である穂高連峰の峰々も穏やかにみえる。わずかに残る真っ白な雪渓には日本的なやさしさを感じて心が和んだ。

夕食は持参の牛肉で牛丼を作って食べた。

小梨平キャンプ場は焚火が禁止されている。日が暮れると辺りは真っ暗な静寂に包まれ、すぐ隣のテントのイスラエルから来ているキャンパーの話し声だけが聞こえた。まだ宵口というのに、はやばやと寝袋に入って寝てしまった。深夜はスリーシーズンの寝袋では寒いくらいだった。

少し寒くて夜中に目が覚めるとテントの外は十六夜の青白い月明かりが樹下に広がっていた。月が明るすぎて星は見えなかった。

二日目の朝は日の出前に起きだし、鳥の声を聞きながらコーヒーを飲んだ。気温は8℃だった。関東の蒸し暑い朝が嘘のようだ。朝食はトウモロコシとベーコン入りのパスタを作って食べた。

特に予定のない二日目、午前中はカラマツ林を梓川沿い下流に向かって散策し、田代池で小休止。もう紅葉の始まっている湿原の向こうに穂高の峰々が見えた。以前に登った奥穂の頂上が小さく見えた。

さらに下って大正池で折り返し、林の中を歩いてキャンプ場に戻った。

名残り惜しいが、テントを撤収して午前11時に帰路についた。きっと紅葉の時期にくればカラ松の美しい黄葉が舞う秋が楽しめるのだろう。また来たいと思った。

帰りのタクシーの中でおいしい蕎麦屋ないかと訪ねると、乗鞍方面に20分ほどいったところにある蕎麦処「福伝」が絶対のお勧めだという。松本で一番の蕎麦屋だと高齢の運転手がしきりにいうので、寄り道して蕎麦を食べて帰ってきた。

質素な店構えの蕎麦処の第一印象だったけれど、ちょうど今が夏に収穫する新そばの時期だそうだ。夏に新そばがあることを初めて知った。蕎麦は更科で歯応えがあり、上品でうまかった。食後、のんびり道の駅に寄り道して午後7時前に帰宅した。

スイスとはまったく気候も風土も違うけれど、あらためて日本の山の美しさと穏やさに癒された二日間だった。

もし今から百年前の日本に、スイスのような大富豪の鉄道王がいたら、きっと現在の松本電鉄新島々駅から徳本峠の下を通るトンネルを掘り、徳澤や横尾を通る登山鉄道が敷設されて、涸沢カールの急斜面を登り穂高山荘の建つ尾根駅や、天狗池展望台が作られて槍ヶ岳小屋まで通う登山鉄道が出来ていたかもしれないとひそかに想像した。きっとまったく違う日本の山の景色になっていただろう。今ある姿が保存できたのは幸運だったに違いない。