虹の朝の散歩

f:id:darumammz:20210819051621j:plain

朝の虹

コロナ第五波が爆発的に加速している。感染はパンデミックとなり、国内の毎日の新規感染者発生件数が二万五千人を越えた(最近ではパンデミックという言葉も聞かなくなった)。

自宅療養中の中等症の家族内感染一家で母親が急死して発見されたり、コロナに感染した妊婦が入院出来ずに自宅分娩して赤ん坊が死亡している。

無自覚・無症状の感染者も少なからずいるであろうから、もう安全や安心はどこにも無い状態になった。感染しても医療機関では診てもらえず、我が国はすでに医療崩壊に至ってしまった。

この感染症の蔓延が危惧されるようになってすでに1年半が過ぎたけれど、この国の危機管理システム管理者はただ右往左往するばかりで、自粛以外の根本的な医療提供体制の見直しが成されぬままに時間が過ぎてしまい、結果として陥った医療崩壊は必然の産物と言っても差し支えないだろう。

切り札とされたワクチン接種は働き盛りの中年層や自粛に疲れた血気盛んな若者達には行き渡らず、新たにワクチンが有効かどうか不明な変異株も広がって、事態が好転する兆しはない。さらに悪化へと向かうのは必定だ。

ファイザー社ワクチン接種を2回終えてはいるものの、家から外に出る理由が不要不急の外出しかない生活なので、家に居る時間が極端に長くなった。

いろいろと批判もあったオリンピックではあったけれど、家籠りのための娯楽としてはもってこいの催し物だった。

高齢自由人の日々の生き甲斐は「食う・寝る・遊ぶ」に「晴耕雨読」と決まっている。

見えない病魔の流行の有無によらず、天気のいい日に青空が広がっても狭い集合住宅の住人には耕す畑はないし、雨が降れば読書三昧とはいうものの老眼が進んで視力が衰えてしまい長い読書がもうできない。

賭け事やテレビ・ゲームに興味の無い身にとって「遊ぶ」は野山を歩くか国内外の旅行につきる。海外旅行は無理だとわかっていたので、今年八月の夏休みは避暑を兼ねてまだ登っていない北海道の日本百名山踏破を目指して大雪山系から知床半島への大旅行を楽しみにしていたけれどコロナ禍の非常事態宣言で中止にした。

温暖化にともなう気候変動の影響も深刻で、晴れれば赤道直下なみの酷暑とアスファルトの照り返しで脳の血管が詰まりそうになるし、雨が降ればあちこちで豪雨災害や土砂崩れで、近場でもあってもおいそれと出かけられない。苦肉の策だろう、最近、旅行好きの働き盛りの知り合いからはあらたに猫を飼うことにしたと連絡があった。

結局残るのは「食うこと」と「寝ること」だけになってしまう。

日々の暮らしの糧の確保と呆け防止、少しでも社会資源の有効活用のために、仕事がある日は家を留守にするが、仕事が終われば寄り道もせず帰宅に直行して、ここしばらく立ち飲みの焼き鳥すら一本も口にしていない。

「食うこと」も「寝ること」も生きる力が充満していないとすぐ飽和状態になる。寝る前には忘れずに胃腸薬を飲まなければならないし、早く寝るので目覚めはいつも午前三時だ。

今朝、小雨のなかを散歩すると大きな虹が出ていることに気がついた。しばらくするとその上にもう一本虹が架かった。

これからまだまだしばらくの間、残された楽しみは人気(ひとけ)の無い早朝にマスクをせずに歩く散歩ぐらいだろう。

それでも雨上がりの空に虹を見つけると元気が出るような気がする。

日が昇れば消えてしまう儚い七色の虹でも生きる希望をもらえるような気がするから不思議だ。

f:id:darumammz:20210819052113j:plain

二本の虹